院長ブログ blog

時に癒し

ある女の癒し物語

新約聖書のなかには、イエスに癒された多くの人々が登場します。その中でも、次の物語に、婦人科医として深い関心を持ち続けてきました。

ところで、十二間長血をわずらっている女がいた。この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。

彼女は、イエスのことを耳にして群衆の中にまぎれ込み、うしろからイエスの着物にさわった。

「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と考えていたからである。すると、すぐに血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことをからだに感じた(1)

 

この女性は月経周期の異常や、耐え難い月経痛に苦しんでいたようです。おそらく、今日で言う、子宮内膜症か子宮腺筋症だったのかも知れません。最近、この病気が増えてきていますが、なかなか治りにくい病気です。「多くの医者からひどいめに会わされて」という箇所には、医者として身につまされる思いがします。

驚くべきことに、20世紀になるまで、「月経」という生理現象は、正確には理解されていませんでした。それまでは「月経」は「不浄」という概念でとらえられてきました。そして、浄・不浄の規定による女性差別や女性蔑視は、古今東西の宗教や社会思想のなかでも、非常に根深いものがありました(2)。現代でも、子宮内膜症や子宮腺筋症の女性たちは、会社や友人、恋人からの無理解に実際に悩んでいます。残念ながら、「病むこと」が差別の温床になることは、現代においても事実のようです。

東大名誉教授の荒井献氏は「女性嫌悪の傾向と女性のセクシュアリテイーへの不信感は、成立当初のキリスト教にはなかった」(3)と言っています。なぜ、このような、新しい思想が生まれたのでしょうか。近年、女性神学者たちは「女性とイエスの間に相互影響的な関係が認められる」ことを発見しましたが、このような「相互作用」はイエスの多くの癒し物語に共通しています。また、旧約聖書・イザヤ書53章の「彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」という言葉にも、もそういう「癒しの思想」が表現されています。ユングは、「傷ついた医師だけが人を癒せる」という、謎のような言葉を残していますが、このような思想の影響を受けているのかもしれません。

ところで、長血をわずらっている女性の血が、イエスの十字架の血と同じ原語(haima)であり、この女性の苦しみ(mastiks)に対しても、イエスの「受難」と同じ言葉が特別に使われています。このように、イエスの癒し物語には, 「自らの傷を通して、人々の傷を癒す」という構造を持った、深い共感・共苦の思想が表現されています。われわれ医者は、ある程度までしか人を癒せないものです。しかし、仏教やキリスト教思想のなかには、人間の癒しの技をこえた、「根源的癒し」の世界が開示されているように思います。